宝クジが当たった!!!!!!!!!!!!!!!!


九百円。
すみれを食べれる。

宝クジで、一等が当たる確率の例えは、様々ある。
『宝クジを米に例えると、200kgの米の中に1粒だけ1等がある』
『自分が北海道に居るとして、北海道の上空から1円玉を落として、頭に当たる確率』
『宝クジを買った帰りに交通事故に会う確率の方が高い』
『時代と事故って一発屋芸人になる確率の方が高い』
など等。

どれが本当かは分からないが、とにかく、とてつもなく当たり難いということがうかがえる。
どうせ買っても絶対に当たらない。
が、事実である。
しかし、買わなければ当たらない。
が、真実であり、正にココで(ひょっとすれば…)と思わされるところに、宝クジを買ってしまうカラクリがある。
自分の事が大好きで自分が一番では無いと気が済まないブスから、「コンパしませんかぁ」とのお誘いがあったとする。
このブスが、自分より可愛い娘を連れて来る確率は、ほぼゼロである。
しかし、
(ひょっとすれば連れて来るかも……?!)
と、男性を惑わせる所のカラクリと同じなのである。
そして、
行ってもどうせ美女には会えないだろう。しかし、行かなければ確実に会えない。そもそもは。
と、思ってしまうと、行かずに後悔するよりはと居ても勃っても居られなくなり、行かざるを得なくなる。

そして、宝クジを買ってしまう第二のカラクリは、公平性。平等性。
母が購入した一枚の宝クジと、広瀬すずが購入した一枚の宝クジの、一等が当選する確率が、ナント、同じなのである。
普通に考えれば、広瀬すずが白い手で包み込む宝クジの方が、母があかぎれの手に汗だく握り締める宝クジより、遥かに可憐で希少価値があるように思える。
しかし、現実は、どちらも同じ価格の同じ価値なのである。
三百円当選した広瀬すずの宝クジと、三億当たった母の宝クジ、世の民はどちらを欲するだろう。答えは明らかである。
以上のように、一枚の格差が無い所に、誰もが安心でき、自分にも可能性があると思い込み、それゆえこそババアも買ってしまうのである。

「金持ちはたくさん買えるから、平等では無えじゃんっ!」
と言うヤカラも居るかもしれない。
しかし、母は9千円分、イチローは30億円分の宝クジが買えるのだが、これは、イチローが母より33万3千3百 33.333333333333333……倍有利になったに過ぎない。
ここで、
『自分が北海道に居るとして、北海道の上空から1円玉を落として、頭に当たる確率』よりも、
『二階から目薬をさすことができる確率』
の方が遥かに高いように思えるので、この例を利用してみる。
一階で、33万3千人が上を向いて待機して居たとしても、1人の時よりも遥かに目薬をさし易くなったようには思えない。
万単位で人が増えた所で、二階から落とした目薬が、一階に落下するまでに強風にあおられたとて、端っこの群集に届くこと自体が有り得ない。
『二階から目薬』でもこの有り様なのだから、数千円分も数十億円分も一等が当たる確率に大差無し。
このお得感こそが、ほんなら数千円分ならリスクも少ないし買ってみよかいと、
ほんのちょっとの出来心に似た心理へと誘う第三のカラクリである。

ところで、なぜ、一等の宝クジが前回に出た売り場へ人々が群がるのであろう? 売り場も"昨年ココで一等が出ました!"なるノボリを掲げている。
しかし、ただでさえ出難い一等が、同じ場所で二度出る確率は、非常に小さいと思われる。
ただし、二度目が出た時に限っては、そこへ行った方が良い。二度あることは三度あるのだから。
私の実家の近所で、直木賞作家が出た。その方とは、小中高(もしかすれば幼稚園も)が同じで、しかも、小学生の時には同じ書道教室に通っていた。他にも、大学進学で上京したり、一人っ子だったりと、共通点が多くある。
だからこそ、残念ながら、小さな書道教室から直木賞作家が二人も輩出する確率は極めて低いと思われるので、私は文才があるにもかかわらず、直木賞を狙うことを諦めた。

以上の事実を突きつけられても耐え続け、1年に10枚を100万年買い続けて当たったとしても、一等当選者の半分が、不幸になってしまうという事実が待ち受けている。50%が不幸ですからねえ。皮肉なことにココは高確率なんです。

理由も努力も無く億単位の金が入ってくれば、非常に馬鹿になれる。ひゃっほうー、ふるっふーってばら撒いて計算できないから気付いた時には自己破産。
冷静で利口な人間に待ち受けているのが、人間関係破綻。毎回奢らなければ、ケチと思われるようになる。美味いモノを献上しなければ、ケチと思われる。遠き人からも海外旅行のお誘いが多くなる。ワタシハ・サイフ・ナノカ……と人間不信になる。
そうならない対策として、
「サン億当たったゾ~!」
と、毎年叫びながら村内を走り回っていれば、イザ当たった時に、誰も信じなくなる。
カラクジ少年は、誰からも相手にされず、奢らずに済むであろう。

なぜ人々は、友人を失ってしまうという 高確率を背負いながら、宝クジを買うのか??
それは結局、金が一番だからであろう。
金には感情が無い。一旦手に入れれば、金に対して、何の働きかけをしなくても、消えない。
友達には感情がある。常に働きかけなければならない。いいね!やコメント、コメント返しをしなければ、こちらへの対応も冷たくなる。既読スルーをすれば、急に友達から外される。
面倒を看なくてもよく、不幸を回避できるのは、金なのである。
その辺りを、人々は無意識、本能的にきちんと分かっているのである。
しかし、竜の玉を七つ集めているうちに出会った人達が強大な敵を共に倒す目的で一丸となった集団や、奇妙な実を食べて特殊な能力を持ったカナヅチ少年が大きな水の上を移動しているうちに出会った人達と共に移動するうちにできた集団や、ツインシュートを放つゴールデンコンビや、「ウチら仲良いもんねぇ~」と周囲に見せ付けている女子のように、強固な絆で結ばれた友人を持つ人々も存在する。
このような人種が、友人も金も失いたく無ければ、どうすれば良いのだろうか?

答えは簡単である。

"宝クジで高額当選した者は名乗り出で、その者が有する友人同士で等分することとス"

と、いう契約を仲間間で結んでおけば良い。
しかし、ともだち100人できるかなあと言っていて本当に出来ちゃった人などは、5億円当たっても手元に残るのはたったの500万円。12人も彼女が居るヤキソバンが当てちゃったら、「なんでアンタみたいなズベ公と同じ額なのよをっ~!!」と女同士の血みどろ争いが勃発しかねない。
先にも述べたように人間は金が一番なのだから、イザ当たると、独り占めしたくなるところが真人間であろう。
だから、当選すれば堂々と隠すべきである。
しかし、
(親友を裏切ってしまって本当にごめんなさいアタシ)
と、罪悪感に苦しめられているアナタには、必ず解放される、とっておきの魔法の言葉があります。私の後に続けて、声に出してみてください。

「もしも、親友が当たっても、自分のように、隠匿するに、決まっている」








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