ラベル

やかましや

祖父母の家と私の実家は、僅か三キロしか離れていなかった。
子供の頃から頻繁に、親の車で祖父母の家を訪れていた。家に行ってもたいがい留守で、祖父は田んぼ仕事をしていた。畑に行くと祖母がいて、採れたての野菜をくれた。
雨の日は、二人共、家で本を読む。
まさに晴耕雨読の生活である。

二人の性格は対照的で、祖父は物静かで、祖母はうるさい。子である母は、祖母に似た。母は、私の勉強やしつけについて、事細かく言ってきた。

「なんで、そんなにうるさいだ?」

「お婆ちゃんの子だもん」

私が問うと、母は必ずこう返答した。

祖母も、私にうるさかった。

「宿題すんだかや?」

私が小学生の時、顔を見る度に聞いてきた。
ある日、こんな夢を見た。真っ白な壁に囲まれた部屋が出現。中央にベッドがあり、私がすやすや眠っている。突然、壁が出窓のように開き、祖母がにゅうっと外から覗きこんできて怒鳴った。

「勉強せんといけん!」

やかまし祖母とやかまし母は、よく衝突した。ある日祖母が、「足の調子が悪いので植木バチを蔵に運んでくれ」と、母に手伝いを頼んだ。母が手で運ぼうとすると、

「猫車で運べ」

と、祖母が言った。

「手で運んだ方が早いわ」

と、母が言うと、

「なんがあ、ねこ使え」

と、祖母がぐちゃぐちゃ文句を言い始めた。

「あー、うるさい、うるさいっ!」

母はヒステリックに怒って、手伝うのをやめた。

「全部が自分の言う通りにならんと気が済まんから、あの人は損な性格だわ」

母が私に言った。
このように、祖母は手伝いの仕方についても事細かく指示してくる完璧主義な性格である。(母も似たような事を私にするが…)


元気な祖母だったが、年をとって異変が起きた。
ある日、祖母は理容室で髪を切ってもらっていた。突然、小豆を煮ていた鍋の火をつけたままにしていることに気付き、あわてて家に戻った。鍋がカラカラになっていて、もくもくと黒い煙があがっていたらしい。
その日以来、しょっちゅう火を止めるのを忘れるようになった。そして、玄関ドアの内側に“火を消して出ること”という紙が貼られた。
後日、貼り紙が無くなっていた。祖母に理由を聞いたら、何回も家を出入りしているうちに慣れて、貼り紙を注意書きと認識しなくなったから、剥がしたらしい。
家の中に居ても、鍋をしたままあちこち動き回り、漬物を作ったり洗濯物をたたんだりしているうちに、火がついていることを忘れてしまう。
祖母は母にきつく叱られ、火がついている間は、ガスコンロの前にじっと座るようになった。

この頃から、母と祖母の関係が逆転してきた。年をとると幼児に戻っていくと言うように、祖母の行動はおっちょこちょいになり、失敗をやらかす度に母が注意した。まるで、母が親のようである。
祖母は最初、口答えをしていたが、だんだんと母の言う事を素直に聞くようになっていった。

私は大学生になり、東京で一人暮らしをするようになった。夏休みがくる度に実家に帰省した。盆に家族で、祖父母の家に泊まった時に事件が勃発する。

「服が裏返しだがん」

皆で朝食をとっている時、母が祖母に指摘した。シャツの襟首に付いているラベルが前にきていた。つまり祖母は、裏返しのシャツを、前と後ろ反対に着ていたのだ。

「だらじゃねーか」

母はあざ笑った。“だら”という言葉は方言で、馬鹿という意味である。

「裏じゃねえ」

祖母は言い返した。

「なんで? どう見ても裏でしょ」

「どげで、裏じゃあーへん」

虫の居所が悪かったのか、祖母は自分の服が裏返しであることを認めなかった。母に会う度に言われっぱなしでいることに、嫌気がさしたのだろう。
母と祖母以外の皆は、下を向いて黙々と朝ご飯を食べていた。
こんな日に限ってタイミング悪く、親戚の人達が昼御飯を食べに来る予定であった。祖母の服が裏返しのままだったら、こちら側まで恥ずかしい思いをする。
しかし元々頑固だから、自分で服を着直すことはしないであろう。

「ちょっと」

私は、母に奥の部屋に呼び出された。

「お婆ちゃんに、あんたから服を直すように言って」

「なんで?」

「孫の言うことだったら言う事聞くから」

「言う事聞くかあ? 何て言うの?」

「それは、あんたが考えなさい。昼までにだよ」

母は命令口調で言った。
なんとも無責任な話しである。昼迄に、祖母が服を元通りに着直すようにせよとの命令が出た。年功序列でいうと母が上官であり、上官の命令は絶対である。 私は、祖母にどういう風に言おうか悩んだ。普通に言ったところで直すまい。明確な根拠を示さねば、母に負けたことを意味する。

「さあ次の商品は帽子です」

テレビではローカルの通販番組が流れていた。

「実はこの帽子、裏返すと…ほらっ! なんと、全く異なるデザインに大変身っ!!」

「わー、すごい。一つで二通り楽しめるんですね。なんとも贅沢」

男性司会者が裏返した帽子を被ると、横にいた若い女性が驚いた。

「今年は、この商品が流行すること間違いなし」

なんだか、小学校の体育の授業でかぶっていた赤白帽子みたいだな。私は思った…待てよ、裏返し? 流行?……

「これだ!」

プロジェクトXというドキュメント番組で、煮詰まって悩んでいる研究者が突然閃いた時のように、ナイスアイデアが浮かんだ。私は祖母の部屋に行った。祖母は眼鏡をかけてクロスワードパズルを解いていた。

「婆さん、都会ではシャツを裏返して着ることが、流行っているらしいよ」

イチかバチかの嘘をついたため、内心ヒヤヒヤしていた。祖母は、老眼鏡越しの大きな目で、ジロッと私の顔を見た。祖母の目が三日月のようにニヤリとなった。

「ほんにや。じゃあ、裏返しにして着てみよかい」

かくして、祖母のシャツは元通りに戻ったのである。

その年の正月に帰省した時も、母と祖母の格闘を生で観戦することができた。両者、以前より口やかましくなっていた。
戦の後、イライラが収まらない祖母は、ガスコンロの油汚れを雑巾でゴシゴシ拭き始めた。

「私がしっかりせんと、皆がシャンとせん」
八十五になる祖母は言った。


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