店員さん、いらっしゃーい③

【※"ラメン食ぶる悲しい受験生"から移転した記事】

日本の古都京都は平安神宮の付近で、昼どきには大行列をなすウドンの御店は”山元麺蔵”へ挑んだ。
まさに世界の山ちゃんである。驚異の百五十八分とお秒待ち。参勤交代か!

私が頼んだ”つけあつ”は、たっぷりのダシ湯にうどんが沈んでいた。
隣りの学生君が、角度を変えながら「アッ違うやコレも違う」と丁寧に写メを何枚も撮り、きちんと手を合わせていただきますと一礼した後に、麺切り挟みで丁寧に切り、麺を静かに咀嚼。坊主だったら住職に見える。
彼のは”冷やのつけ麺”でザルに載っており、麺が輝きはいかにもツルシコを彷彿させ、今日は夏日だし、こっちにしておけば良かったと後悔。
麺がやたら長い。
店員さんがやたらと、待たせてすいませんでしたや、ありがとうございましたと御礼をおっしゃっていた。最後は、
「どうも! ありがとうございました。どうも! ありがとうございました」
と二回二礼で超礼儀正しく、一瞬、自分は神様かもと思った。

かつて「おいしいですね」とコメントした時に、
『黙って食っとけ、旨めえのは当り前ナンダヨいちいち評価すんなよ』
と、某ラーメン屋の頑固親父に怒鳴られた時は、自分は弟子でしたっけと思ったが、
おいしいモノを作る同じ人間において、180℃異なる態度が見受けられるのは、誠に不思議である。
どちらの麺も誠意をもって精魂こめた作品であるから、それに対する愛情は計り知れないと思うが、
それを酷評された時に、
「すいませんでした。今後も勉強させて頂き、品質向上に従事致します」
と頭を下げる者が居れば、

「てやんでえいっ!!バーローてめえの味オンチ棚に上げてほざいてんじゃねえ地獄の三丁目に放り込んでその馬鹿ジタ引っこ抜いてやろうかオトトイ来やがれアシタのジョウ」
と憤怒する者が、あ、居る。

前者は、サービス業の基本である御客様は神様ですという思想に徹底的に従い、世の中に絶対はない、どんなに美味なモノでもそれを否定する者は必ずいる、だってケイトベッキンセールを全く美しいと思わないアイ ワズ ゲイと言う 人も居るよね・・
と、なかなか冷静でサバサバした中身のタイプ。

いっぽう後者は、オレのモノが絶対正しく、我がモノを否定する奴は正しくないという思想の下、そうその思想が崩壊すれば、カレは動く動機が無くなる。または、厳格なおやっさんのスパルタ麺作りにより、玉あげでぶん殴られたり、さいばしで目を突かれたりの結果、自分の弟子にも同じことをするのが当たり前であり伝統である。また、そうしないと人は育たないと洗脳されているかも知れず、そうでないかもしれないが、どちらにせよキチント教育されているので、それらに潰されずに乗り越えた人間が創る料理は徹底的に美味いので、その人物像は歌ウマなジャイアンであり、誰も文句は言えない。こういう人間がトップに立ち、民をぐいぐい引っ張っていった方が、モラルとして良かれ悪かれ、行動も思想も一つの方向へ流れて行くので、クニが纏まり易い。その流れは強固であり、その流れに従うことこそ正義となるので、民に迷いも生じ難く、そこへ向かわされても皆が惑わ無くなるので、
鬱病蔓延の防止となろう。




”山元麺蔵”は、"グルメマップ(ラーメン以外)(京都)"に載せてあります。

昼は混むから昼下がりに行け




【関連記事】
店員さん、いらっしゃーい①