私達

二人のことを”私達”と言った場合、二人の仲は相当親密になっている。
ドラマ昼顔で、不倫関係にある上戸彩と斎藤工が、図書館で密かに逢瀬して、本棚を挟んで手を握っている時に、妻の伊藤歩が乗り込んできて、「さっさと抱き合えば」と凄んだ。上戸は驚愕するも弱気ながらに「私達はそういうのじゃ…」と否定しようとする。それを聞いた伊藤歩は「ワタシタチイィッ! タチって誰のことよおおっ!!!」と激昂して、上戸をフルビンタする。

以上の例のように、『私達』と呼び合う二人は、社会的通念や常識をものともせず、その愛情と絆は、カンナで削る以前の鰹節よりも強固である。
したがって、昼顔は単なる不倫ではない。純愛ドラマだ。遊びじゃない不倫は純愛ですからね。

身体が二つに引き裂かれそうでした

こう、上戸彩が斎藤工と別れたときに心境を語る。精神の合体がハンパない。
大事なパートナーが居るにもかかわらず離れられなくなるのだから、顔や性格だけでは計り得ない何かが作用している。
双方共に好きな理由を説明できない。
もしかすれば、一方の不要な『気』が、一方にとっては必要かも知れない。
フェロモン、体臭。そう、ニオイが関与しているかもしれない。お互いが強いニオイを発している。
一方はローズアロマを発し、一方はシュールストレミング臭を発しているかもしれない。
しかし、クサいニオイ好きにとって、劣悪な腐臭は美味なる毒であり、病み付きになり、悪いと分かっていても永遠に嗅ぎたくなる。
純愛とは、嗅依存症かもしれない。
依存し合った結果、それは酸素と二酸化炭素を交換し合う、動物と植物みたいな関係。
しかし、植物が嫌いな人間も居る。家に観葉植物、庭に植木鉢をボンボン置かれると歩行困難で非常に困る。クローゼット開き戸の前に置かれたら、スキー靴でスネを蹴りたくなる。

私の場合、幾ら上戸彩でも、パーソナルゾーンにずっと居座られたら、不快を感じると思う。
猫なら感じない。茶毛が口内に侵入してきて舌に接着して中中取り外せなくても全然平気。
だから、猫と純愛するしかない。
捨て雌猫を拾って世話をしていたら、ある日突然、猫が人間の女性になって恩返しするという男好みの話があるが、本当に実現して欲しいと思うことがある。
しかし、ウチの飼い猫は、雌だが、生まれて十六年。人年齢にしたら八十。
老婆が膝に載ってきたらホラーですよ。