鈴木君と緑 (小1)

鈴木君とは、幼稚園、小学校、中学校、高校が同じで、大人になった現在でもちょくちょく会う。
しかし、第一印象は決して良くなかった。
幼稚園の時は、組は違ったが、存在は知っていた。小柄でも無く大柄でも無く、平凡な感じが私と似ていた。それが原因かどうかはよく分からないが、なんとなく不快な存在だった。
お遊戯の時間に、桃組、あじさい組、ひまわり組など全ての園児がわぁーと、お遊戯室を駆け回るなか、鈴木君とバッタリ対面して、二人の動きが止まった。両者、共に避けようとしない。
「なんだオメエ」
と私が第一声を発した。
「なんだオメエ」
と鈴木君が返した。
嫌な奴だと思った。そして、私は右へ、鈴木君は私から見て左へ駆け出し、その後、話すことはなかった。

小1の時に同じクラスになったが、仲良くなれそうにもなかったので、自分から話し掛けないでいた。
ところが、4月の帰りの会で先生さようなら、みなさんさようならの挨拶をした直後に、「一緒に帰ろう」と鈴木君が言ってきたので、「いいよー」と返し、二人きりで下校した。
帰りは、ひたすら緑を誉めるトークで盛り上がった。
というのは、小学1年生の初期の名札には、名前の斜め上部に、丸いボタンサイズの色付きシールが貼られてあった。恐らく、住んでいる地域ごとに色分けされていたと思われる。学校の近くから、赤、ピンク、緑、青、水色、黄色という感じだろうか。黄色の住居は、校舎から四キロ以上離れていた。毎年恒例の遠足より長い距離を、毎日徒歩で小1から往復するのである。運動神経が発達したショウカラが多い筈だ。
鈴木君と私の家は三百メートル程と近く、我々は緑だった。だから、同士という感じがして、緑を讃えた。緑が誇らしかった。
「みどりって目に良いんだよ」
鈴木君が斬新な知識を披露した。
「うそぉ!」
私は、良い事なので疑いなく信じ、私は私でとにかく緑が一番いいと言いまくった。眼精疲労時に遠くの山(緑)を見るのは目に良いと後に知るのだが、それをヨワイ若干六歳にして既知していた鈴木君は大した者である。軍師か最高顧問にしてやっても良い。
「ピンク! 女子みたいでかっこワルい」
「アカ! 血の色だがん。コワイ」
「キ! しょんべん。バッチイ」
他の色の悪口を言いながら帰り、それ以来、遊ぶことが多くなった。ファミコンのソフトも交換し合った。

中3の冬に、私はインフルエンザにかかり、三日間寝込んでしまった。完治した学校帰りに、その時は異なるクラスだった鈴木君が、前方を自転車で走っていたので、後ろから近付き、
「よう。インフルエンザ大変だったわあ」
と声を掛けると、
「移されたらかなわん」
と一言残して車道を横切り、反対側の歩道へ行ってしまった。
まあ、受験シーズンですからインフルなりたくない気持ちは分かりますケドお…大丈夫だったかの一言ぐらいくれても良いんじゃないデスか。割り切り過ぎだよ大人じゃあるまいし。
当時の非情ぶりを、鈴木君と会う度、未だに責めることにしている。
それはともかく、インフルエンザ完治の翌日から、私の右目の視力が日ごとに落ちていき、2.0から0.1になってしまった。チカチカしたり眩しいので眼科に行ったら、緑内障と診断された。
大人になった現在、病状は眼圧が少し高いだけで大したことないが、左目の視力は2.0のままなので、両目の視力格差が激しく、疲れやすい。

疲れた時は、緑を眺める。緑の眼で。